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ロマンスとたたみ

一般的に「畳」の誕生は聖武天皇(西暦724~749年)の時代と言われています。。

理由は奈良の正倉院に保管されている畳を利用したベッドが存在するそうだとか。。。

今から約1300年くらい前でしょうか・・・


しかし、ひょっとしたらもっと古くから存在するのではないかと私個人は疑っています。

古事記によれば、第19代・允恭(いんぎょう)天皇(西暦412年~453年)の頃にはすでに存在した感があるのです。

だとしたら、タタミって約1600年前から存在するってことになりますよね。。

この允恭天皇の長男・木梨軽皇子(キナシノカルノミコ)と同母妹の衣通姫(そとおりひめ)、禁断の兄妹姦の末、

木梨軽皇子(キナシノカルノミコ)は立太子(次期天皇)でありながら失脚し、実の弟・安康(あんこう)天皇によって殺害されました。

tt.jpg
「http://ja.wikipedia」より参照。


この二人、大恋愛だったようです。

古事記で紹介される木梨軽皇子(キナシノカルノミコ)が愛しい同母妹の衣通姫(そとおりひめ)に読んだ句に、

「王(おおきみ)を島に放(はぶ)らば 船余(ふなあまり)り い帰り来むぞ わが畳ゆめ 言(こと)をこそ 畳と言はめ わが妻はゆめ」


*現代語*
大君である私を島流しにしたとしても、私はすぐに帰りの船に乗ってまたここに帰ってこよう。私のいつも座って

いる畳
は留守の間もけっして汚さないように。・・・(ここで「畳」と表現している言葉に意味は自分の妻のこと。)」


衣通姫(そとおりひめ、そとおし-)という女性は、記紀に絶世の美女と伝承される人物。

衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王。

大変に美しい女性であったため、その美しさが衣を通して輝くことからこの名がある。本朝三美人の一人とも称される。 


今も昔も男性は美女に弱いんでしょうか??


ss.jpg
「http://ja.wikipedia」より参照。衣通郎姫の墓があるとされる。


『日本書紀』では、情を通じた後の允恭24年に軽大娘皇女が伊予国へ流刑となり、

木梨軽皇子(キナシノカルノミコ)は允恭天皇が崩御した允恭42年に穴穂皇子によって討たれたと記録されています  



日本の天皇制は世界最古の王朝であり(皇紀2600余年)、文化は古来より一般市民の生活・教養に至るまで高度で、
歴史は深淵である真実をもっと知るべきでしょう。


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日本人なら誰でも知ってる「畳」を通じて、毎日わらって、ないて、感謝して、考えさせられるナカシマ建創の「奮闘記」です。

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